安岡正篤先生の「日本農士学校」を範として
 郷学の里における教育で最も力を入れるのが「自前の教育」です。農村の持つ不思議な「自然の教育力」を十分生かして人材を送り出してきたのはいつの時代も農村でした。
四季の移り変わり、山川草木、小動物の観察や触れ合い、豊かな感性が磨かれます。野性味が磨かれます。風の谷のナウシカです。加えて、日本精神、東洋思想も真剣に見直さねばなりません。文武両道も道徳教育も日本精神も武士道も一体どこへ行ってしまったのでしょう。肝っ玉の太い胆力(はら)の養成が最大の課題です。女性には日本古来の「婦道」というものがあります。

 最近流行の農業体験やら自然体験を教育プログラムに取り入れている学校が増えてきました。
しかし、みな「楽しかった」「いい思い出」で終わりです。生活そのものが農業や自然でなければ身体に染み込まないのになあ・・・といつも思います。親が子供の教育から逃げてはいけません。近隣の人も祖父母も父母も兄弟も友達もみんなそれぞれの立場で教師です。それが「自前の教育」という意味です。村中の人が「人物」になる努力をします。「全村学校」という考え方です。戦中戦後にかけて静岡県庵原村は「全村学校」と呼ばれました。村全体が学校なのです。
小中学校だけではなく、男女青年団あり、家政学園あり、母親学校あり、文化講座あり、図書館ありで、それらを文化専門委員会という組織の下で統一された運営がなされたのです。庵原村民の知性と文化の水準は相当に高かったと言います。講座の担当を村の有識者や経験者で賄うことは、単に経費の節約だけではなく、こういう仕事に協力することによって指導者はさらに人物を高めていったという意義を見逃してはなりません。
 先般、明治時代その村の指導者であった片平信明氏の子孫の方に会っていろいろ話しを伺ってきました。二宮尊徳公の報徳の精神で急峻な山間の極貧村が毒荏(どくえ)からお茶の栽培へ、更にお茶からみかん栽培に転換して裕福な村に移り変わってゆく様が「全村学校」(山田清人著 中教出版)でも描かれています。
ゼロ才からの石井式漢字教育、古典の素読、武道、養生訓(貝原益軒)などは必修かと考えます。

 私は「農的生活から農士を育てる」「士道を以って農を営む」ことを教育の基本方針とします。「士」とは、たくさんの欲望の中からただ一つを集約してそれに向かって努力精進する者を言います。言い換えれば、「志の高い人間」であります。

 私の私淑する故安岡正篤先生(碩学哲人経世家、歴代総理指南役と言われています)は、「都市と農村の人口が半々になるのが理想だ。悪くても農村人口4割を切ってはならない」と言われています。今の日本は8対2の割合になっており、まさに危機的状態です。極度の都市化が出生率の低下を招くとシュペングラー(西洋の没落の著者)も言いましたが、日本はついに1.32人(平成13年度)まで低下してしまいました。歴史上、都市化の過度の集中が国家崩壊を招かない例はありません。安岡先生は、「人類発展の過程でどうしても現れる都市文明というものの危険性、これの救済にあたることが農村の最大使命である」と言っております。

 私は一刻も早く農村の再生に取り組まねばならないと考えています。
農士とは、農業の実践をとおして日本精神を具現化する青少年とでも言いましょうか、文武両道の人でしょうか。「徳育」「体育」「気育」「知育」(この順序が大切なのですが)のバランスがとれた人材です。イメージとしては、現代風の武士道を模索しています。

 具体的には、昭和 6年から 27年まで埼玉県嵐山町にあった安岡正篤先生の「日本農士学校」を範としてゆきたいと考えています。この学校は残念なことに戦後GHQの解体指令で没収されてしまいましたが、安岡教学は現代の日本に最も求められている教育だと信じます。
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